「男らしさの呪縛」(森田ゆり先生)の記事を読んで/「怒りの鎧」を脱ぐ作業工程について 



私はDVシェルターにいたことがあって、その関係で、

当時、DV被害者センター支援や、
我が子に虐待をしてしまうお母さんをケアする活動をしていた、
森田ゆり先生の2Days セミナーに東京から大阪まで夜行バスで参加したことがある。

とても気さくな方で、
アメリカの福祉施設で暴れる子供たちのケアを長くしておられた経験を聴いた。

久し振りに森田先生の名前に目が留まり、この記事を読んだ。

池田小事件・宅間守の女性蔑視と大量殺人を生んだ「男らしさ」の呪縛
(現代ビジネスWEB版 講談社

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65074?page=3

「社会が男性、男子に表現を許している感情がひとつだけあります。 怒りです。」
の部分で、

「(女性である)私が幼い頃から最近まで、自分自身に知覚(表現までいかない)を許していた感情は怒りだけだったなぁ」ということに気付いた。

たとえ親友や母親であっても、
女性相手には一切本音も感情も表現せず、

交際相手や夫にだけ、(「怒鳴る年上の男性」限定)
「怒り」を表現することができるので、
「年上の男性が怒鳴る」というトリガー(引き金)をきっかけに、
数十年分の鬱積した感情が火山噴火するのだ。
それはもう自動的に。


そのエネルギーは凄まじく、
自分で自分の身体を攻撃しはじめる。

たとえば怒鳴ったり暴れたりしている時は
アドレナリンが出ているのか、
その痛みに気が付かないが、
ひとしきり興奮しおわったあと、その痛みに気付く。

インフルエンザ風に全身がこわばり、
重症のムチ打ちか筋肉痛に「一瞬で」なるのだ。

突然雷に打たれたかのようにビリっとなることもある。

この痛みは平均1か月間続く。

感情と痛みの持続時間は同じの様子だ。

これはキツイ。一ヶ月間ムチ打ち。

特に毎度右へ首が回らないので運転中に右から突っ込まれたこともある。


そんなんで「怒り」でヘトヘトな私は、
ある時、ヒーラーの友人にエンプティチェアをやってもらった。
 
私が2歳から17歳まで15年間、次兄から家庭内限定の暴力を受けていて、

(以下の病名は成人してからの精神科医や心理カウンセラーの発言より引用)

生後まもなくから6歳まで小児喘息、場面性緘黙症、
7~12歳まで多動症
17歳の頃は、自宅から駅まで歩きながら失神した。(乖離症状)

で、何を想ったかエンプティチェアで、
次兄の身体の中に入ってみたのだが、(真偽は割愛)

前述ムチ打ちと同様の、
しかも「永遠に続くであろうと感じる痛み」に耐えきれず、
「この役(次兄の人生)は私にはできないわー」と言って早々に降参した。

 

「あー、兄貴もなんか大変だったんだなぁ」と、

「『怒り』は自らの心身を蝕むのだな」と想った。

 

「怒り」を知覚も表現もせずに溜めておけば静かに精神的、身体的な病気になり、
「怒り」を知覚し、表現すれば、(たとえ他人に向けて表現しなくても。表現というよりは、怒りの表面化という感じ)全身ムチ打ちになる。
(字のごとく鞭で打たれたような感じ。上手いこと言うなわたし)


あまりいいことはないので、


森田先生の言う
仮面の下の「本当の感情」に目を向けていくべく、
10年以上取り組んでいるが、

この「怒り」のPowerが物凄くて、いまでもコントロールが難しい。

「怒りの仮面」は油断するとすぐに「それが本当の私の感情」かと思ってしまう。
「仮面」、いや、「鎧」といってもいいかもしれない。

「脱いだら殺されるレベルの恐怖から身を守るため」の「鎧」なのかもしれない。

実際にこの「怒りの仮面の下の感情に触れる」という作業は、
その鎧を脱ぐこと=死を意味するほどの、恐怖がある。

実際に脱いだら心身が軽くなり、「はぁー、(*´Д`)助かった」という感想が毎度だ。

「いままでなんでこれ着てたんだろ?」というほどの
あっけなさがあるのにも関わらず、

「これ脱いだら死ぬけんね!脱がせようとする奴も攻撃したる!」という勢いで

せっかくヒーリングしてくれてる最中も、

猛烈な眠気に襲われたり、
単なる「怒り」の引き金になった
具体的な話や相手の話(あいつが悪いの一本調子で)に逃げたり、
笑いや別の話でごまかしたり、
無感情、無機質なロボット反応になったりと、

「本当の感情に触れる」作業に対して、物凄い抵抗が起きる。