母に抱っこされた記憶

生後9か月で肺炎になって以来、
小学校にあがるまでは何度か小児ぜんそくで入院したらしい。

 

恐らく昭和48~49年、4・5歳くらいの入院の記憶がある。

病院といっても、
現在のコンクリート建築ではなく、
木造2階建てのまるで民家のような、
小さな病院だったそうで、

建物内部しか記憶にないが、
まだその頃は木造だったのだろう、

全てが濃いこげ茶色の木でできていて、

部屋の中には畳があった。

病室に畳の小上がりがあったのか、
ベッドの記憶が無いので、
小上がりの畳の上に布団を敷いていたのか、


今振り返ると、なんとも昭和モダンな病院だった。


私の記憶の中には父も兄達も、
医師も看護婦も他の入院患者も、見舞い人も、

誰もいない。

 

いるのはカメラ位置にいる自分の存在感と、

その自分がみている人影はたったひとり、

母だけだった。

 

その部屋にいる母が見える。

私は少し床から高くなっている寝床から
ちょうどよい高さに胸がある母に向かって
手を伸ばして「〇〇飲む」と言っている。

「〇〇」はなんといったのか、名前は思い出せないが、
病室は2階で、その階下にある乳飲料のことだ。


当時は
平置きで上部が左右にスライドする扉式の
冷蔵庫が自動販売機のようになっていて、
中身は全て瓶詰の牛乳か乳飲料だった。

瓶の蓋は紙製で、薄い紫の四角いセロハンで
飲み口をくるみ、赤いテープで止まっていた。

たしかどこかに小銭を入れると固定されている金具が外れて
商品が取り出せるタイプであった。

その正確な商品名を私が口にしたとは思えない、
恐らくは適当に自分でつくった名前を言ったのだろう、

母はそれでも私の希望を理解していて、
「またなの~」という態度で
しかし微笑んでいて、
母は私の伸ばした両手の脇を抱えて抱こうとする。

私は抱っこされて当然の権利を有する御姫様のように、
ふわりと持ちあげられ、母の豊満な胸にうずもれながら、
自分の全体重を預けた。

今思い出して衝撃的だが、

自分の身体は標準より小さめではあったが、
既に母親に抱っこされる年齢やサイズでないことを自覚していた時期で、
抱っこされると自分の手足が余るような感覚はあった。

友達が周りにいたら、病院でなかったら、恥ずかしくて抱っこされなかっただろう。

それでも周りに誰もいない、
特に邪魔する次兄がいない。

抱っこされるチャンスだ。これを逃す手は無い。

 

そして恐らく私は一段一段が高めの古い木製の階段を怖がり、
一度も自分で降りないようにして、
「自分で階段降りられないから抱っこ」という体で、
母に抱っこをせがんだのだ。知能犯である。


病室内もすべて木製、こげ茶色だが、
廊下の床も壁も階段もこげ茶色だ。

病室からすぐの木製の階段を降りる直前、
高いところから階下を見下ろすのが嬉しかった。

その目線の先には
子供には背が届かない中身を覗くために母が抱っこをしてくれる、
あの冷蔵庫がある。

抱っこされながら階段を降りる。

階段で母が一段一段脚を進めるたびに、
気持ちよく母の胸と自分の身体が揺れる。

階下に降りると一度床に降ろされる。
「あぁ重たい」とでもいったかもしれない。

でもそんなことは構ってられない。
また抱っこされるために
冷蔵庫の中をみたいとせがむ。

またふわりと持ち上げられる。
母は私がよく見えるようにと、
私を「ひこうきぶーん」のように少し水平にしてくれる。

たのしい。

これを日に何度もやった記憶がある。

ある日
「え?要らないの?」と言われた。

私が冷蔵庫の中を覗きながら「要らない」と言ったのだろう。
きっと抱っこが目的であって、もう乳飲料を飲み過ぎてお腹がパンパンだったからだ。

その後は「おしっこ~!」

と言うのを
抱っこに利用したのは言うまでもない。

私は3人兄妹の末っ子だが、
母に抱っこされた記憶は、これきりだ。

それでも、こうして詳細に思い出していると、

あの日の母の温かさと、柔らかい体の感触が蘇って、
絶対的な安心感を取り戻すことができる。

さて、


高齢の母を抱っこでもするかな。