「宗教・信条」 の 卒業時期 

必要なことが、必要な時に起きますと、 私の心理学の師匠は言った。 私の身の回りに在るもの(環境、人間関係)は、 その時の私に必要なものだったけど、 それが今変化しているなら、私が変化したゆえなのだろう。 私がビジネス上で尊敬する人は、 同窓会一…

「なぜ相談しなかったの?」という言葉について

一昨日、「離婚と昼逃げと別居とDVシェルター」について、 私を含めた4人で話す機会があった。 「なぜ相談しなかったの?」という言葉があって、 (しばらく「逃げなかったの?」に脳内改ざんされていた) その場では語り切れなかった感があり、 自分で今深…

私は赤ん坊を殺しかけたことがあります。

私は幼い頃から、 「お前、聞いているのか!?」と 頰や頭を叩かれていた。 それを回避する策なのか、 ヒトの話を 「真剣なフリ」をして聞くようになった。 フリだから、 話が頭の中に入ってこない。 「また聞いてない!」と叩かれる。 そもそもカラダの中に…

「男らしさの呪縛」(森田ゆり先生)の記事を読んで/「怒りの鎧」を脱ぐ作業工程について 

私はDVシェルターにいたことがあって、その関係で、当時、DV被害者センター支援や、我が子に虐待をしてしまうお母さんをケアする活動をしていた、森田ゆり先生の2Days セミナーに東京から大阪まで夜行バスで参加したことがある。とても気さくな方で、アメリ…

母が老いた理由

ずっとひとのお世話してきた お母さん ありがとう ありがとう ありがとう いっぱい言われてきたね こんどは お母さんが ありがとう ありがとう ありがとう みんなに たくさん言えるように おばあちゃんになったのかも しれないね

大変だ

大変だ 大きく変わると読むんだな

永住の地

私の在るところ全てが 永住の地

人生を変えたひとこと

「あぁ、あそこのテーブルの上にある残飯さえ愛おしい。」

母に抱っこされた記憶

生後9か月で肺炎になって以来、小学校にあがるまでは何度か小児ぜんそくで入院したらしい。 恐らく昭和48~49年、4・5歳くらいの入院の記憶がある。病院といっても、現在のコンクリート建築ではなく、木造2階建てのまるで民家のような、小さな病院だったそ…